YOKOSUKA ARTS THEATRE

6月加藤登紀子さんコンサートに向けて、バラライカ奏者北川翔氏との対談が届きました。

4月に行われた東京での公演を皮切りに全国ツアーがスタートした加藤登紀子さん。横須賀でも6月16日(土)に、加藤登紀子さんのコンサート「TOKIKO’S HISTORY 花はどこへ行った 加藤登紀子コンサート 」が開催されます。
今回、バラライカ奏者としてコンサートに加わる北川翔さんとの対談が届きました。
コンサートタイトルにも入っている曲目「花はどこへ行った」のルーツであるロシアを、2017年末に登紀子さんが北川さんらと旅されたときの様子の写真も一緒にお楽しみください。



(モスクワ、救世主ハリストス大聖堂に向かう橋の上で)

加藤登紀子(以下T) あなたのおじいさんの北川剛さんは、昔からお名前を知ってました。合唱団「白樺」の創設者でいらして、ロシア民謡を日本に紹介された、草分けの方ですよね。亡くなって何年になりますか?

北川翔(以下S) 今年が33回忌、64歳でしたから、生きていたら96歳ですね。

T  ということは私の父より12歳もお若いんですね。終戦後シベリアに抑留されて苦労されたと聞いていますが。

S  祖父は戦前からオペラ歌手でしたから、収容所で慰問団を組んで、チェリストの井上頼豊さんや戦後NHK交響楽団のコンサートマスターをされた黒柳徹子さんのお父さん黒柳守剛さんたちと、あちこち行ってたらしいです。でも喉を痛めて歌えなくなり、日本に帰って来てから「白樺」の指導者になったわけです。


(北川さんが5年留学していたロストフにて)

T  お父さんもバラライカ奏者として活躍されたんですね。

S  実は父の北川つとむも、49歳で亡くなっているんです。僕が20歳でロストフに留学して、1年経って帰国して初めてのコンサートを開いたんですが、その直前に逝ってしまったんです。

T  それは惜しかったですね。でも見事にバトンを受け止めた!ってことね。ロストフにはそれからも留学を続けて、全部で5年ですか?

S  夏休みに帰って来るたびにコンサートを開いて、一昨年が10周年だったんです。


(写真左:加藤登紀子、右:北川翔)

T  あなたは20歳でバラライカ奏者になると決めた、と言ってらしたけど、こう聞いてると、もう生まれた時から受け継いでるんですね、きっと。

S  まあ、何となく我流で弾いてましたね、父の楽団でも弾いてましたから。ロストフの学校で、全部直されちゃったんですけどね。

T  あのバラライカって、お土産みたいなのは売ってるけど、本格的な楽器はもうあんまりないんですって?

S  ロシアでさえ、もうなかなか手に入らないんですよ。

T  演奏する人が少なくなってるんですね。でもロストフでは、毎年コンテストがあったり、たくさん勉強してる人もいて、盛り上がってましたね。今回、翔くんのお陰で、すごくいい旅が出来て、本当に嬉しかったわ。我が家も、父が生涯ロシアとの交流に命かけてましたから、あなたと今回一緒にコンサートが出来て嬉しいです。ほら、初めて会ったのが、にっぽん丸でしたっけ?あの時、ウラジオストクに寄港しましたよね。

S  そうそう、それですぐその日に登紀子さんのライブで演奏させていただいて……。

T  あの時本当に感激でした。もう胸に染み入るようで。私はいつもお店でバラライカのレコードをかけてたので、嬉しくて泣きそうでした。4月のオーチャードホールから、6月の各地のコンサートと、サハリンとウラジオストクにも行っていただくことになって、なんだか運命共同体みたい。頑張ろうね。

S  はい、本当に楽しみです。いいコンサートにしたいですね。

T  本当に、よろしく!楽しみましょう!


おふたりが共演する公演「TOKIKO’S HISTORY 花はどこへ行った 加藤登紀子コンサート」の詳細はこちらです。

チケット好評発売中。ぜひお越し下さい。

(対談文章、写真は「登紀子倶楽部通信」より引用)

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