YOKOSUKA ARTS THEATRE

野島イズムと珠玉の響きたち

 国際的ピアニストであり、才気溢れる若手ピアニストたちを門下から輩出した教育者として、濃く深く生きた野島稔(1945~2022)。出身地の神奈川県横須賀市で、市制施行100周年記念として2006年に創設された「野島 稔・よこすかピアノコンクール」の審査委員長としても、音楽に掛け替えのない多くのものを遺したのではないだろうか。その野島へのメモリアル・コンサート開催を前に、コンクールに参加し、今では様々な形で活躍している若手4人に集まってもらった。

◆野上真梨子(2014年第5回第1位)

◆小井土文哉(2016年第6回入選)

◆安並貴史(2018年第7回第1位)

◆本堂竣哉(2022年第9回第1位)

◆訊き手・まとめ:上田弘子(音楽ジャーナリスト)

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◇「野島稔・よこすかピアノコンクール」をふり返って…

上田 コンクールからは日も経っていますが、改めて「野島稔・よこすかピアノコンクール」をふり返って、先ずパッと思い浮かぶのは、どのようなシーンですか?野上さんはコンクールから10年になりますが。

野上 横須賀芸術劇場の、客席からの眺めですね。コンクールでこれほどの大舞台はあまりないので、それもピアノ・ソロですから、コンクールということはまず置いて、ここで弾けるんだという嬉しさは今でも憶えています。

安並 ピアノって孤独なんだなというのが第一印象でした。この広い空間を、ピアニスト一人で埋めるのか…と。僕は3回受けていて、最初は学生として、そのあとは仕事もしながらでしたから、その都度感じることがありました。

小井土 僕は、舞台上でのことはあまり憶えていなくて。というのも、本選では暗譜が飛んでしまって上手くいかなかったので。それよりも、審査委員の先生方の講評はすごく印象深く心に残っています。

本堂 僕は初めて受けた大きなコンクールだったので、何もかもが新鮮な経験になった実感があります。それは翌年の優勝記念リサイタルもそうで、あの広いホールでの響きの扱い方など、音の聴き方や自分のコントロールの仕方など、大きな本番でピアノを弾くこととは、こういうことなのかと思い知りました。

野上 野島先生をはじめ、審査委員の先生方が錚々たるメンバーですよね。現役で大活躍されている素晴らしいピアニストばかりで。その先生方に聴いていただけるという、光栄と言いますか、喜びは大きかったです。

上田 野上さんもおっしゃるように、審査委員席には日本を代表するピアニストばかり。野島コンクールと言えば第2次予選でのベートーヴェンのピアノ・ソナタ(全楽章、繰り返しあり)が有名で、そのベートーヴェンの名演奏家がズラリ!でしたからね。

安並 どのコンクールでもベートーヴェンはとても緊張しますが、このコンクールでは第2次予選の課題曲がベートーヴェンのピアノ・ソナタだけ。なのでベートーヴェンに対する意識の持ちようは、他のときとは異なっていた気がします。

◇恩師として、ピアニストとして、野島稔とは…

上田 野上さんと安並さんは野島稔門下ですが、レッスンでの野島先生の様子は?

野上 私はコンクール後に野島先生に教えていただけることになって、とにかく伝説のような存在の先生なので、その人に聴いていただけるんだ!と、緊張以上のものがありました。よく憶えているのは、何より響きのこと。「響きを合わせて」と度々おっしゃっていました。ピアノを弾くうえでは当然のことですが、先生は和音一つでもこだわりがあって、和音の造りと各音の役割など、先生が弾いて下さると世界が無限に広がるんです。レッスンでは理屈や好みを押し付けることなく、先生のポ~ンと打鍵した一音で、その音の重要性が理解できます。自分は今レッスンを受けているのに、先生の持つ独特な空気感に魅了されて聴き入ってしまう。そしてハッとして、いざ自分が弾くと、全然できない。それでも先生は声を荒げることなく、美しい響きを弾き示して下さる。もう全身で、先生の世界観を記憶しようと必死でした。

安並 それすごく分かります!僕もコンクールのあとから教えていただくことになって、単音の出し方の尋常ではない求め方など、いつも食い入るように見ていました。いろいろレッスンしていただいた中でも、特にモーツァルトとシューベルトだと野島イズムが得られるかなと思って持って行きました。レッスン前は緊張と期待、レッスン後は絶望(笑)。どんなフレーズでも先生は語るんです。それがピアノの音で語っているのか言葉で語っているのか分からないくらい、自然に語っている。先生は僕にレッスンしているようで、ご自身の音楽の世界に入ってしまわれたのかと思うときもありました。僕も先生の一挙手一投足を見逃すまいと、こう弾いていたな、指はこんな角度だったなと、目と耳に焼き付けていました。

上田 今、真似された野島先生の弾き方、すっごく似ていましたよ。

野上 ホント似てる(笑)。

安並 当たり前ですが、僕ごときがそれまで培ってきたものなど、野島先生には全く通用しません。あのレヴェルは一朝一夕にできるものではないです。一音に対する探求心…それは凄味のようで、生涯をかけた覚悟のような気迫すら感じました。

上田 そこから放たれる野島先生の美しい音は、単なる美しさではなく、狂気をはらんだもの。まさに孤高の世界。

安並 そうなんです。研ぎ澄まされた美しさ。それは亡くなる直前まで求めていらしたと思います。

野上 ああいう響きを出すピアニストが日本にいるって、奇跡ですよね。

小井土 野島先生の、一音へのこだわりは僕も経験しました。自分が受けたレッスンではなくて、霧島音楽祭で聴講したベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」。1時間のレッスンのほとんどを、第1楽章の冒頭に費やしていて。のちに自分が演奏会で「皇帝」を弾くときに、まさに先生がおっしゃっていたことが蘇りました。先生が何度もおっしゃって弾いた、音や音列の持つ意味。その深さを、身をもって実感しました。

安並 感覚で教え導いて下さる、稀有な先生だったと思います。

上田 それでいて、お話しすると、とても気さく。構内(東京音楽大学)では、どのような感じでいらしたんですか?

安並 とにかく時間があれば、先生はいつも練習されていました。おっしゃるように先生は気さくで、とてもフランクな感じでした。実は僕、野島先生と大学近くの同じジムに通っていたんですよ、偶然にも。

一同 エーッ!野島先生がスポーツジムに!?

安並 僕なんて、帰ったら何をしようかなぁと考えながらメニューをこなしていましたが(笑)、野島先生は健康のため!ピアノを弾くための体作り!と黙々となさっていたと思います。ジムでもお話しする機会がありましたが、たとえ雑談でも深いことをおっしゃる。東京音楽大学とモスクワ音楽院の交歓演奏会ということで、モスクワへご一緒したのも貴重な思い出です。ピアノ選定ではパラパラっと弾かれて一瞬で「このピアノで」と決めて、「帰ったらコンサートで弾かなきゃならない。イヤだなぁ」なんておっしゃって、モーツァルトの協奏曲を弾かれていました。先生にとって久しぶりのラフマニノフ・ホールだったと思いますが、瞬く間にホールの響きで音楽にしてしまう。ちょっと鳥肌が立ちました。

本堂 僕がコンクールを受けた少し前に亡くなられたので、直接お会いしてお話しできなかったことが残念でならないです。小学生のときに札幌で受けた学生音楽コンクール本選の審査員長が野島先生で、そのときもお会いできていないので、皆さんがおっしゃる“伝説のピアニスト”は、僕にとっては本当に伝説の存在なんです(笑)。学生音コンでは、他の先生からの伝聞で「練習不足だね」と講評されたので、5月のメモリアル・コンサートではそう言われないように弾きたいです。

◇メモリアル・コンサートでの曲について…

上田 野上さんと小井土さんは、5月3日の「第1回ピアノ協奏曲」

野上 このモーツァルトの「第27番」は、東京音楽大学創立111周年記念公演で野島先生が弾かれ(2019年1月10日)、先生の最後の演奏となった曲です。そのときの映像が記録として残っていますが、先生の演奏を録音やレッスンではなく映像という形で接するのは、とても不思議な感覚です。でも先ほどから言うように、やはり惹き込まれて聴き入ります。音数が少なくシンプルなのに、先生の手にかかると、途轍もなく深いものになる。それでいて優しさや温かさもあって、野島先生独自の世界観。勉強のために聴いても参考にならない高い次元のもので、でも聴きながら先生との時間も思い出されます。コンクールから10年になりますが、私なりに頑張ってきた経験を活かして臨みたいです。

小井土 僕はラフマニノフの「第2番」を弾きます。野島先生の「第2番」は聴いたことはありませんが、先生のホームである横須賀では恥ずかしくない演奏をしたいと思っています。コンクール後の講評では、「ちゃんと練習しないと」と言われてしまったんです。なので「今日はちゃんと練習できていたね」と言われるように(笑)。

上田 安並さんと本堂さんは、5月18日の「第2回ピアノGALA」。それぞれ思いのこもった選曲だと感じますが。

安並 これまでレッスンで聴いていただいた中から、感銘を受けた曲で組みました。先生のレッスンは奇跡の連続で、先生のお陰でモーツァルトは大好きになりましたし、今回のシューベルト「即興曲第3番D899 Op.90-3」は、先生がとてもお好きだとおっしゃっていた曲です。僕の演奏で、先生がこの曲を嫌いにならないといいのですが(笑)。ライフワークにしているドホナーニに関しては、コンクール後も先生と音楽談議することがあって、「興味深い作曲家だね」と。

上田 安並さんのドホナーニへの貢献度は高いと思いますよ。コンクール後、周りでもドホナーニが話題になりましたし、最近ではコンサートで弾く人も出てきましたから。

本堂 僕の友人が「ドホナーニは最高だ!」と言っていました。

安並 えっ、嬉しいです。ご友人に宜しくお伝え下さい(笑)。僕が小学生の頃に聴いた「11人のピアニストによるラ・カンパネラ」というCDで、ジョルジュ・シフラやゲザ・アンダに交じって、トラック8番(8番目)に野島先生。何の知識もなく聴きながら、11人の誰よりもカッコ良くて虜になりました。将来、そのトラック8番のピアニストに習うなんて、当時は夢にも思いませんでした。横須賀の地で、感謝の思いを込めて弾きたいと思っています。

本堂 このコンクールを通して様々なことを学びました。「人生は実験」とも言いますから、様々な学びも実験の一つ。コンクールの本選で弾いた「ゴルトベルク変奏曲」、そのバッハの楽譜の読み方も、新たに感じて新たに得たことがあります。皆さんのお話からも、僕にとって文字通り伝説のピアニストである野島先生のイメージが、さらに広がりました。おそらく野島先生は、“ステージで、音楽と一対一”で在ろうと探求されていたように思います。僕もそうなれるよう、コンサートを務めたいと思っています。

上田 皆さん、それぞれに野島先生の美学までもキャッチしていらっしゃる。そしてさらに高みを目指して日々研鑚を積んでいる様子を、先生は天国で喜んでいらっしゃると思います。5月のコンサートでまたお会いしましょう。楽しみにしています。

野島稔メモリアル・コンサート

第1回 ピアノ協奏曲  *野上真梨子、小井土文哉 出演
2024年5月3日(金・祝) 15:00開演(14:15開場)
よこすか芸術劇場
S席:6,000円 A席:5,000円 B席:4,000円 学生(24歳まで):2,000円

第2回 ピアノGALA  *本堂竣哉、安並貴史 出演
2024年5月18日(土) 15:00開演(14:15開場)
よこすか芸術劇場
全席指定:4,000円 学生(24歳まで):1,000円

2公演セット券
S席:9,500円 学生(24歳まで):2,500円
*横須賀芸術劇場 電話予約センターと窓口のみ取り扱い